何故、結果論ばかり…
まずもって、「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
連日、テレビや新聞、インターネットなどで報道され、私が説明するまでもなく言葉を失うほど甚大な被害であることは言うまでもない。
既に犠牲者は数千人単位で行方不明者、安否不明者などを含めると数万人単位となるようだが、町全体が壊滅した地域も多く、震災から1週間が経った今でも正確な人数は把握しきれていない。
命の一つ一つが尊いものであり、犠牲者の数だけで被害の大きさを語れるものではないが、「津波」が町を飲み込んでいく光景を目の当たりにして、この地震の規模が尋常でないことは、誰の目から見ても明らかだったのではないだろうか。
そして、そんな壊滅的な状況下にあっても、生存率が限りなくゼロに近づいている今も、懸命に救出活動に励み、「屋根に乗り漂流した60歳の男性救出」「津波から92時間後に70歳の女性救出」など奇跡的な救出もあり、「可能性がゼロでない限り、救出を続ける!」という強い想いが伝わってきます。
当然、医療従事者や自衛隊、警察官、消防署員などの中にも家族の安否が不明な方、家族が遺体となって発見された方も多数いるはず。
そんな辛い状況にありながらも「今、目の前にある命を救うのが最優先。」と被災地で必死に救助活動等に励んでいる。
それが、彼らの「今、すべきこと。できること。」なのだろう。
それに対し、各テレビ局に出演し、「あーだ、こーだ。」と語っている専門家達は何なんだ?
地震、津波、原発とそれぞれの分野の専門家が出演しているようだが、腹が立つことばかり。
例えばある専門家は津波に対して「今回の津波は想定外ではなく、過去にもこの程度の津波は発生している。防潮堤がチリ地震の津波5.5mを想定したものなので当然、防げない。もっと高い防潮堤を設置しなくてはならない。」と言っていた。
だったら何故、この高さで防潮堤が設置されたのか?設置する時点で指摘するべきことではないのか?
他にも多々ありましたが、書くだけで腹が立ってくるので省略。
とにかく発せられる言葉は、結果論ばかり…
確かに防潮堤が低かったのかもしれない、防災意識が低く避難が遅れ犠牲になった方も少なくなかったかもしれない。
だからと言って、今そのことを批判するような結果論を並べたところで何も解決しない。
更には、キャスターの真剣な質問に対し、小馬鹿にしたような、この惨事のおかげで表舞台に立てたことを面白がっているかのような、そんな笑みを浮かべながら答える姿も…
我々が知りたいこと、聞きたいことは彼らにとってくだらないことなのかもしれない。
他の専門家が作ったこの度の津波のシュミレーションに対しては、「このシュミレーションは単純な作りで、この度の複雑な地震の実態とは若干異なるでしょう。」と真剣にコメントしていた。
はっきり言って、我々はそんな細かいことはどうでも良くて、こんな感じで津波が押し寄せたってのが、ざっくり分かれば十分である。
確かに彼ら専門家の知識はスゴイのだろうが、今はその知識に基づいて結果論を披露している場合じゃない。
これからどうすれば、原発は落ち着くのか?避難所への救援物資が円滑に行き渡るか?…
何でも良いから、この先のことを考えるべきではないのだろうか…
原発に至っては、「最初から解っていたのでは?」というような悪い事実が後手後手に発表され、不安が増す一方である。
実際のことろ、私が「あーだ、こーだ。」と言ったところでどうにかなるものでもないし、今できることと言えば、僅かばかりの義援金を送るくらい。
実は、壊滅的な被害を受け、町長が奇跡的に生還した南三陸町より少し内陸に位置する登米市に私の従兄弟も住んでいる。
安否を確認した際には、家の中は地震でメチャメチャで避難所にいるとのことだった。
従兄弟も含め、被災された皆さんには、何の役にも立たない私から掛ける言葉も見つからず、ただただ心の中で祈ることしかできません。
冒頭と同じ言葉になってしまいますが、「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
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